実に、6か月ぶりにブログ書いてます。
新潟での生活にのめり込んでいました。
ざっくりこの間のことをまとめますと、「平成最後の山女」は、新潟で野生的生活を送り、その後テント生活をしたりしながら南下し、関東に再び落ち着こうかと思い、住処も一度は押さえたところで、「やっぱりここじゃねえ」と、踵を返すように新潟に戻り、まさかの看護師をするという展開になりました。
そして、その5ヶ月の勤務も残すところ、あと数週間。
思いっきり右脳的、感覚的、体感・直観・インスピレーション的な次元から、全く別次元にダイブした私は、初めの数週間は本当に戸惑いました。
その後も、ことあるごとにいろんなことを感じ続けました。身体に、思考に、心に、精神に。
看護師の仕事から9年、保健師の仕事から5年離れて、その後は「性と魂のサロン てのひら」。
しかも、その時は総合診療科や保健指導という「内科」メインだった私にとって、今回は主に子どもからお年寄りの急性外傷(脳外科・整形外科的なもの)をみるという、初めてのこと。
しかも、多国籍。
という流れで、今に至ります。
看護師の仕事を身体から頭から思い出していくことから始まり、
人間の肉体というもの、
肉体の終わりというもの、
職場の人間関係というもの、
個人の集まりで出来ている組織や社会というもの、
一人一人の人間の意識や世界の大きさ、
役割と個人。
じいやの家に居候させてもらう中で、血縁を超えた家族的な関係というもの、
毎日の食事と対話、
そこでの生活に日々気づかされること、
周りにある山の雄大さ、川の清らかさ、植物たちのそこにある存在、
太陽がある歓び。
なんて、言葉にすると美しくなりすぎてしまうけど、
何というか、これまでに味わったことのない環境と知覚と、とにかく新たなカオスにブッ込まれながら日々を過ごしていました。
12月に、新潟で看護師をすると決めた時、「これまでの自分だったらやろうとも思わなかったけど、今の自分がそこで5ヶ月過ごしたら、その先どうなってるんだろう。」と思っていました。
私にとっては5ヶ月って、結構大きくて。
そんなに私は私(=私がやっていたライフワーク的おしごととか)から離れちゃって大丈夫だろうか、っていう謎の大丈夫か感があったのですが、いっちまった。
新潟の自然に惹かれたっていうのは、マジで身体の感覚で。
日々たき火したり、野草を摘んで食べたり、外で料理作って食べたり、感覚的に道なき道を生きてて、もうサバイバルだったわけよ、そん時の私の人生そのものが。
ホントに元気そのものが育っていった感じ。
一度新潟を離れた後、約3週間は新潟~群馬~埼玉~東京と野営生活+人のお家に泊めてもらう生活で、「家がないって、開放的で野生的で自由だけど、なんかスレスレしてヒリヒリするね。まあ、ぶっちゃけ結構楽しいけど!」っていう、アンビリーバボーのエキサイティングだったけど、あまり安心感のないものでした。
常にハアハア言ってて、小走りしているみたいだった。
安心していられる居場所って大事だなって思った。
そんなこんなで、ある日の夜、私を本気でお弔いしました。
これまでのごちゃごちゃあった私を、ほんっきで、どこから湧いてきたかってくらいのクソ本気お弔い。
そして、お弔い終わった翌日、もうここじゃないわ、って吹っ切れて、意識が完全に新潟に飛びました。
5か月後、どうなるか、見当もつかなかったけど、でもたぶん、想像を超えたなんかにはなってるだろうな~とも思っていました。
そして、新潟での新しい環境でも、見事に死にました。
思ったことは、一つの世界の見方でいると、新しい発見や新しい自分には気付けないけど、大きく未知の世界にジャンプしてみると、これまでの自分が完全に死ぬ。(その前にも死んでるんだけど。再び。)
それは、これまでの自分の常識とか価値観が通用しなくなるから。
そして、その常識とは、単に自分の頑なに信じていた偏った見方にしか過ぎなかったり、正しいって思い込んでたことだったりする。
だけど、その自分が自分なんだ―――って、そのままの意識を引きずってる不完全な死に方のままだと、古い自分が背後霊のように自分を見ているので、新しい世界で新しい意識も生まれないし、生き切れない。
完全に死ぬコツは、こだわりや知識を捨てて、目の前のことに没頭・没入すること。
没頭・没入こそ、なんじゃかんじゃ言う古い自分が消えて、新しい自分が生まれ始めるとき。
だから、死んだらまっさらになる。
そして、新しい選択をして、また新しく生き始める。
そして、出来上がったのが「リミックス版 山本千晴」だと思った。
【Re:Chiharu Yamamoto】
・・・
【Re:Re:Re:Re:Re:Chiharu Yamamoto】
と、振り返ると、そんな感じ。
あと、もう一個思った。
本当の関係性っていうのは、一度相手に幻滅してからが始まりなんだと思う。
だから、両方見えてるっていうか、その上でどう関わるかっていうか。
幻滅覚悟で生きるっていうか、気付けば知らんうちに幻滅されてたとか。
あるからね。
だけど、再び、そこでも再び、新しく始まるんよね。
終わる関係性もあるけど、再び、新しい形で生まれる関係性もあるんよね。
で、自分との関係性も同じなんかな、と思う。
自分との関係性ってそもそもよくわからんけど、今日しょっちゅう出てきた「死ぬ」っていうやつは、これまで大事に大事に護ってきた自分の価値観とか想いとか、こだわりとか、執念とか、
それを手放すってなったら、大事なものほど失いたくないじゃん、
けど、手放すって、失うんじゃなくて、ほんまにそれ大事だったよね、大切だったよね、ってほんまに自分がそれをわかってあげることなんかなと思った。
綺麗で美しくて清らかなことも、その真逆なことも、
自分が自分の想いに気付いてあげる、それを取り上げようとしなくても良いし、引き離そうとしなくていいし。
だから、「死ぬ」って、きっちりそこをわかって~の、納めて~の、次行く感じなんかな。
話飛びましたが、
まだあと数週間は新潟での生活ですが、今はそんな感じです。
そして、新潟生活が一旦終わったら、東京で個人セッションします!!
イエ―――――――――――!!!!!
マジで何かがパワフルになってるので、ここぞのあなた、お待ちしてます。
今回の私は今回しかない。
解き放て!
【東京】個人セッション
各日13:00~19:00(受付時間)
5/15(水) (五反田サロン)残りわずか
5/16(木) (自由が丘サロン)
5/17(金) (新宿サロン)
5/18(土) (自由が丘サロン)
5/19(日) (新宿サロン)残りわずか
※いずれも、最寄り駅から徒歩圏内です。
【内容説明】
「本来の私」、「魂の叫び」、「今の状態」などを紐解きながら、人生の過程を愉しむお手伝いを致します。
基本的には対話と必要な施術(オイルを使用したマッサージ等)を行い、ご希望や必要に応じてリーディング、ヒーリング、アートセラピー、感情開放セッション等を行います。
ご相談内容は問いません。
【セッション料金】
90分 20,000円
【〆切】
5/1(水)
※それ以降のキャンセルは返金ができませんのでご注意ください。
コメントを残す