気付けば、12月24日。クリスマスイブです。
早いですね。毎年、年の瀬っていうのは。
皆さんはどんな一年だったでしょうか。
この1年の振り返りをしたいと思います。
2019年
1月。私のスマホのカレンダーを見ると、ドゥワーーーーーーっとシフトが入っておりました。
新潟の雪山での看護師の勤務のやつですね。
(急激に生活スケジュールや生活リズムが変わる!!)
これが、5月上旬まで続きますので2~4月は割愛!
とは言え、人生初の豪雪地帯での生活でした。
雪がこんなに積もっても、人間は普通に生活できるんだなあとか、雪の中で暮らすってこんな気持ちかあとか。
それから、色んな人が集まって、組織ができて、その中で一人一人の働きによって、この社会は回っているんだなあとか。
その一人一人の中にも、たくさんの世界があるんだなあとか。そんなことを思ったり。
少しずつ、里の雪が解けて、山の雪も溶けて、茶色い土が見えたり、蛍光色のようなフキノトウが出てきたり。
そうしたころには、休日は山菜取りの手伝いをして、パック詰めをしたり、スーパーに並べたり。
ゴールデンウィークには、山菜のPOPを作ってお客さんからの質問に答えたり。
湯沢という温泉地に住んでいたので、近くの色んな温泉にほぼ毎日浸かりに行っていました。
キーボードで作曲もちょこっとだけしました。
そんな、山三昧な日々を送っておりました。
新年号が「令和」と発表され、数年分の大みそかとお正月が来たような、そんな気分でもありました。
そして、5月中旬~下旬。
新潟でのお勤めが終わります。
高速バスで都内に帰るときの気持ちといったら!!!!!
ピヤーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!っと晴れ晴れしい!!!!
そこから、友人に何人か会い、再会を歓び、約1週間の都内セッションウィークがあり、お客さんとお会いし、下旬は広島の実家に帰ります。
6月。数日間京都、お寺を巡ったり、13年前に亡くなった祖父が眠る納骨堂にも祖母と妹を連れてお参り。
その後石垣島。そこで、石垣島初セッション。
下旬は10日間、また京都に戻りヴィパッサナー瞑想。
7月。上旬は広島。友人と厳島神社へ行ったり。
中旬~下旬は都内にてセッション。
8月。上旬は茨城で農家さんちの見学。その足で長崎に行き、友人主催のイベント参加。福岡を経由して広島。
この月も、友人を連れて厳島神社へ。
9月。9月からですね、事態が動いたのは!!
広島にこのまま住もうかと考えていたのですが、う~~~~~~~ん。。。。。
なんか、もっと今のうちに色々、色々とにかく試してみたい、チャレンジしたい、自分で生活を作って生きてみたい(お金を稼ぐとかではなく)、と考えた結果、
マジで紙一重で、(広島は本当に、幸せで平安で、とっっっても居心地がいいの、だ・け・どぉ)
だけどぉ(たぶん場所なんて本当は関係ないのかもしれないけど、)
すっごい悩んだのですが、今は自分が動きやすく何かをクリエイトしてやっていくのはこっちかもしれない!と、埼玉県の飯能市に来てしまいました。
そこから、更地の畑を耕して、夏野菜を植え始め、鶏が来るということで急いで鶏小屋を作り(棒とネットで)、少しずつ今の家と庭の畑に慣れていきました。
10月。ヒヨコを孵化させたり、鶏との時間が増えてきました。というか、めちゃくちゃ鶏を飼うことによって、爆発的に命のことを考えさせられるようになっていました。
あるお宅へ廃鶏(卵を産まなくなった雌鶏)を貰いに行ったとき、いきなり心の準備も数秒くらいで、鶏の絞め方講座が目の前で行われ、たった今生きていた「生きた鶏」が、「死んで」いき、「命の火」が消え、羽をむしられると、スーパーで見る「丸鶏」に。
パーツごとに「解体」され「精肉」され、部位ごとの「お肉」になる。
私たちは、その最後の「お肉」を買って調理して食べているけど、それまでの過程はこんな風になっている。
その「お肉」は、袋に入れられ私の膝に抱えられ、同じ車内には「生きた鶏」が何羽か居て。
え、なんなんだろう、これ。っていう「複雑」と一言で片づけられない感情が帰りの車内に渦巻いておりました。
ヒヨコの孵化では、21日待って、ヒヨコが中からくちばしで殻を割って、
「えいやーーーーーーー!!!!」っと最後は渾身の力でパカッと殻を破って出てくるのですが、
もう「わああおおおおお!!!!!!!」です。毎回。
こんなちっちゃい殻の中にいたの~~~~!!!(そして我々も)
出てきて、ヒヨコが見る世界は全てが未知の世界でしょうね。(そして我々も)
最初は、何を食べるのか、ちゃんとうんこは出てるか心配だったり、一日ごとに成長する身体の変化や行動範囲の広がりに感動したり。
ただそこに存在してるだけで、もう、ほんと十分過ぎるくらいだ!!!と、ヒヨコにぞっこんになっていきます。
そして、生まれる子もいれば、具合が悪くなる子、亡くなっていく子もでてきます。
目を突かれ、一時失明したけど復活したヒヨコ、
片足麻痺だったけど回復した烏骨鶏のうこさん、
仮死状態になったけど一命を取り留めた小軍鶏じいさん、
脚が立たなくなったけどリハビリと看病で回復したヒヨコ。
台風で命を落とした小軍鶏たち、介護が必要となった老鶏たち、ヒヨコのまま成長することなく死んでいった子たち。
生老病死がここにあります。否応なく諸行無常。(そして我々も)
まさか、こんなことになるなんてっていう、もろ命の営みの場になっております。
さらに、飯能の家をサロンとして本格的に活用していこうと、諸々準備を始めます。
10月末には出雲大社に行きました。
11月。ディープリフレッシュコースを開始。
飯能の自然や、地元で採れた食材も楽しめて、サロンでのサウナ、ボディーケアやヒーリングを受けることのできるコース。
以前から、五感の全てを、と思い考えてはいたけれど、それを遥かに超えるやつが出来てしまいました。
そして、未だに、ディープリフレッシュコース以外のお申し込みがありません。
(=皆さん、ディープリフレッシュコースをご選択してくださいます。)
ありがとうございます♡♡
レストランにご案内すると「え~、飯能にこんな素敵なお店が!?」と、驚かれます。
畑では秋野菜を植えていたものを収穫し始めたり、黒ハッカというハーブを植えたり、新たにご近所さんのご厚意で畑も無料で借りることができ、今は根っこで土を耕す意味と、鶏たちの餌を兼ねて麦を撒いたりしております。
近くの湧水が流れる場所にワサビも植えました。
お友達も畑を手伝いに来てくれました。
12月。新潟のじいやから、苗木をもらい(イチジク、オリーブ、月桂樹、ブルーベリーなど)、定植しました。
以前漬けていた酵素ジュースは、発酵が進みすぎてお酒になってしまいました。
そして、今年最大の私の魂の叫びですが、
以前は、庭で鶏を絞めていたのですが(私はどうしてもできなかった)、どうしてもそれが心苦しかったんです。
わかっています。これまでも普通に鶏肉食べてきたし、けど、目の前で殺すことにどうしても理由を見出したかったし(見出せずにいた)、罪もないのに(罪があるから良いということでもない)どうして殺されないといけないんだろうという思いと、
そんなことを思いながら、思いあがってんじゃねえよ、残酷なのはかわいそうだといいながら普通に肉食ってる私の方だ、とか。
その流れで、鶏を絞めているということを聞いた友人が、我が家で鶏を絞めるイベントをやろうとなったんです。
これまでも、私は、かわいそうだと思いつつも、そういった機会を提供することで、食の過程をみんなにも共有していけるなら(もう決まっちゃったのなら致し方ないか)、という思いで、知り合いの食堂に鶏を提供するのを手伝ったりもしてきました。
だけど、今回、別の友人にそのことを話したときに「今、殺しても良い鶏いるの?」と聞かれて、「そんな鶏いない!!」と叫びました。これが私の本心だと気づきました。
声がうるさいからとか、弱い子を虐めるからとか、つがいだからペアで絞めるとか、エサをたくさん食べるからとか、そんな理由で、殺していい理由になんかならない!!!!!!
私は、家族として、最後まで一緒に暮らそうと思ってる!!!!
命のことは、そうやって、いろんな意見があるし、すぐに簡単にわかりあえることでもないけど、だからこうやって意見を言い合って、すり合って、みんなが納得できる方法を探す必要があるんじゃないの!!!!!!!????
命の扱い方を本当にわかっているの!!!!!?????
(と、言いつつ、自分自身は絞めたことがないのに、本当に何がわかっているのか。きっと、それをやり終えたあとにわかることは、たくさんあるんだろう。)
と、マジで惑星一つ分くらいのコアのコア爆発になり、完全にど真ん中が叫んでいました。
中途半端で流れのままに、思いを抱きながらも見ていたところから、「ここだけは絶対に譲れない!!!!!」というものが出てきました。
言ったって仕方ないかもしれません。だけど、私はとにかくこの思いを伝えずに易々とそのイベントを見過ごせないと思ったんです。(今の私はこの想い。だけど、これから色々見ていく中で、また変わっていくんだと思います。)
その祈りが通じたのか、イベントは雨天中止となり、その日に起きた別の出来事から、我が家では鶏は絞めない方針に変わりました。
はい。
最後は、鶏の命のシャウトになりましたが、今年はこのような一年を過ごしました。
海老原よしえさん「祈りのうた」。
亡くなったピヨやニワたちを思いながら聴いていた曲です。
命を以て、最後の最後までも「命の営み」「命の尊さ」「宇宙に2つとして存在しないこと」の大切さを教えてくれました。
飯能サロンは、年末は29日まで。年始は1月7日から営業開始いたします。
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